霧と時間が育てる、イタリア最高峰の生ハム「クラテッロ」|ヒサタニミカさんのイタリアレポート

2026/08/20 11:30

みなさんは『クラテッロ』というハムをご存じでしょうか。
クラテッロ(Culatello)は、中部イタリア、エミリア=ロマーニャ州パルマ県のポー川沿い、とりわけジベッロ村周辺で造られる希少な豚肉の熟成品です。その最高峰である「クラテッロ・ディ・ジベッロ」はDOP(原産地名称保護)に認定され、定められた生産地域と製法を守る生産者だけがその名称を使用することができます。現在、このDOPを生産できる生産者は20社ほどに限られています。そのうちの1軒、最も古い生産者の一つ『アンティーカ・コルテ・パッラヴィチーナ』を訪ねてきました。ここはクラテッロを代表する老舗生産者で、博物館も併設されており、グルメスポットとしても知られています。



【クラテッロ誕生の背景】

クラテッロの故郷は、パルマ県北部のポー川に近い低地です。パルマ生ハムの主産地である丘陵部に比べ、ここは冬の霧が深く、空気中の湿度が非常に高い土地でした。

この環境では、豚の後脚を骨付きの大きな塊のまま乾燥・熟成させることが難しく、内部に水分が残って傷む危険がありました。そこで農民や豚肉加工職人は、後脚から骨、皮、余分な脂肪を取り除き、尻部の最も上質な筋肉だけを切り出すようになります。小さく整えた肉を塩漬けし、豚の膀胱に包んで紐で縛ることで、湿潤な環境でもゆっくり熟成できるようにしたのです。

つまりクラテッロは、一般的な生ハムを贅沢に切り詰めた製品ではなく、大きな骨付きもも肉をうまく熟成できない土地で生まれた、合理的な解決策でした。そして、当初は不利だった霧と湿気が、やがてクラテッロ特有の繊細な香りを生む重要な条件になりました。

近代化によって均一な工業生産が広がる一方、ジベッロ周辺では伝統的な製法と自然熟成が守られました。そして1996年、「クラテッロ・ディ・ジベッロ」はEUのDOP(原産地名称保護)に登録されます。
DOPを名乗れるのは、パルマ県内の指定された8つの村だけで、規定された原料と製法を用いて生産されたものだけです。こうして中世以来の農村技術から生まれたクラテッロは、土地の気候、職人技、歴史が一体となった食品として保護されるようになりました。

【クラテッロの製法】

ではその製法をみていきましょう。
1. 豚の後脚から肉を切り出す
原料となるのは、規定を満たした豚の新鮮な後脚です。まず皮と表面の脂肪を除き、骨を外します。その後、後脚の後方・内側にある筋肉群を分離します。これがクラテッロになる部位です。

2. 肉を整形する
切り出した肉から余分な脂肪や筋、形の乱れた部分を丁寧に取り除き、熟成しやすい形に整えます。この段階で、クラテッロ特有の丸みを帯びた洋梨形の原型が作られます。

3. 塩漬けと香辛料による味付け
整形した肉に塩をすり込み、一定期間休ませます。製造規定の範囲内で、胡椒やニンニク、ワインなどを使う場合もあります。塩は味を付けるだけでなく、肉から余分な水分を引き出し、微生物の増殖を抑えて長期熟成を可能にします。塩が内部へ均等になじむよう、途中で肉を揉んだり、向きを変えたりしながら管理します。

4. 豚の膀胱に詰める
塩漬けした肉を洗浄・準備した豚の膀胱で包みます。一般的なソーセージのように細かく挽いた肉を詰めるのではなく、整形した筋肉の塊を丸ごと包む製法です。膀胱は天然の外皮として肉を保護しながら、完全に密閉することなく、水分や空気をゆっくり通します。この性質が長期間の熟成に適しています。

5. 紐で強く結束する
膀胱に包んだ肉を、外側から麻紐などで網目状に細かく縛ります。この伝統的な作業はレガトゥーラと呼ばれます。結束には、肉を洋梨形に保つ、膀胱を肉に密着させる、内部に空気だまりができるのを防ぐ、といった役割があります。乾燥が進むと肉が縮むため、その状態を見ながら紐を締め直すこともあります。

6. 乾燥させる
結束したクラテッロを吊るし、表面を乾かします。急激に乾燥させると外側だけが硬くなり、内部に水分が閉じ込められるため、温度と湿度を見ながら穏やかに進めます。この工程で外皮が安定し、本格的な熟成に耐えられる状態になります。

7. ポー川沿いの環境で熟成する
乾燥後は、ジベッロ周辺の熟成庫や地下貯蔵庫で長期間吊るします。クラテッロ・ディ・ジベッロDOPの熟成は、加工を始めた時点から数えて最低10か月が基本です。実際には18~24か月、上級品では30か月以上熟成させることもあります。
熟成庫では、ポー川流域特有の冷たく霧深い冬と、蒸し暑い夏による自然な温度・湿度の変化を利用します。窓の開閉などによって外気を取り込み、職人が肉の乾き方、香り、弾力、表面の状態を確かめながら管理します。
表面に生じるカビや酵母も、外側を保護しながら香りの形成に関わります。ただし、単に湿度が高ければよいわけではありません。乾燥が遅すぎれば腐敗し、速すぎれば外側だけが硬くなるため、職人による細かな調整が欠かせません。保存料などの添加物は一切使いません。クラテッロは完全な自然食品です。

8. 検査とDOP認証
熟成を終えた製品は、形、重量、香り、肉質などが規格を満たしているか検査されます。合格したものだけがクラテッロ・ディ・ジベッロDOPとして認証されます。規定では、完成品は洋梨形で、一般に3~5kgほどです。完成したクラテッロは、外皮と紐を外し、表面を白ワインなどで湿らせて柔らかくしてから清掃し、薄く切って食べます。

【クラテッロの価値】

このように限定された地域で長期間かけて作られるクラテッロ、価格も高価です。商品や熟成期間によって差はありますが、クラテッロは重量当たりでパルマ生ハムの約2~3倍になります。
クラテッロを食べるのは、一枚の生ハムの中に、その土地の気候、歴史、そして「待つこと」の豊かさが凝縮された、文化を味わうような体験。
そんな最高のハムに出会うと、私が大好きな本、故・辻静雄さんの『ヨーロッパ一等旅行』に書かれた言葉を思い出します。
「豚肉というものがこれほどまでに香りのいいハムになるのは妖怪変化としかいいようがない。」
この書籍が書かれてから、もう50年以上。それなのに、今でもまったく同じ感動に出会える。そんなところに、イタリアの食文化のすごさを改めて感じるのです。

『アンティーカ・コルテ・パッラヴィチーナ』クラテッロ博物館
> Museo del Culatello-Antica Corte Pallavicina

クラテッロ・ディ・ジベッロ保護協会
> Consorzio per la tutela del Culatello di Zibello



■ヒサタニミカさんのご紹介

ヒサタニ ミカ
京都生まれ京都育ち。1996年よりローマ在住。 サントリーグループのワイン輸入商社のイタリア駐在員事務所マネージャーを経て、ワインや食材輸入業者のコンサルタント、イタリア飲食店日本開業プロジェクトのコーディネートを行う。25年以上にわたり、イタリア全国に広がる生産者やフード&ワインイヴェントを巡り、イタリア飲食界に纏わるメディアへの企画、取材、寄稿も行っている。また日本の大学への国際研修プログラムにて「イタリア食文化」の講師を務める。 AISイタリアソムリエ協会(正規コース)ソムリエ資格を取得し、現在ではイタリアで数々のワインコンクールの審査員を担う。イタリア外国人ジャーナリスト協会会員。

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